Blue Concorde

ブルーコンコルド
鹿毛 牡 2000年4月11日生
フサイチコンコルド 母 エビスファミリー 母父 ブライアンズタイム
競走成績 50戦15勝
2002年 京王杯2歳ステークス (GU) 1着
2005年 プロキオンステークス (GV) 1着
2005年 シリウスステークス (GV) 1着
2005年 JBCスプリント (交流GT) 1着
2006年 黒船賞 (交流GV) 1着
2006年 南部杯 (交流GT) 1着
2006年 JBCマイル (交流GT) 1着
2006年 東京大賞典 (交流GT) 1着
2007年 かしわ記念 (交流GT) 1着
2007年 南部杯 (交流GT) 1着
2008年 南部杯 (交流GT) 1着
 2006年秋は前人未到の交流GT3連勝。特に最後の東京大賞典では圧勝。不安視されていた距離も克服しての勝利で今後への幅を広げた。元々2歳時には芝の重賞を勝ち期待が大きかった馬。ダート転身で新境地を見せたのが第二章なら年齢的には苦しいが出走間口を広げるレースが見せたこれからが第三章の始まり!(2007/1/3)
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 2007年フェブラリーステークスの主役候補に躍り出たがサンライズバッカス渾身の快走に中央GT制覇はまたもお預けに…(2007/2/21)
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No.1ダートホースの名を賭けて、かしわ記念でアジュディミツオーとの一騎打ちを制し、帝王賞へと向かう(2007/6/6)
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 南関東のベテラン・的場文を擁し里帰りを果たしたボンネビルレコードの大駆けに屈した帝王賞。秋になると得意のマイル・南部杯を制したが中距離では王者ヴァーミリアンに及ばず2007秋〜2008春にかけて屈辱の4連敗を喫する。秋に南部杯3連覇の偉業を達成したがそれが最後の勝利となった。
 引退後は些かタイプは違えどダービー馬フサイチコンコルドの後継として当然種牡馬転身と思われたが、それは叶わず乗馬への転身となった。交流王者に突きつけられた不遇の現実はファンを奈落の底に叩き落す非常に残念な決定であった。
況(2010/9現在):乗馬(新冠・ハントバレートレーニングファーム)

2010/9/8

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