Fujino Makken O

フジノマッケンオー
黒鹿毛 牡 1991年3月11日生
父 ブレイヴェストローマン 母 ドミナスローズ 母父 トウショウボーイ
競走成績 61戦8勝
1996年 セントウルS (GV) 1着
1996年 ダービー卿チャレンジトロフィー (GV) 1着
1994年 根岸ステークス (GV) 1着
1997年 さきたま杯 (GV) 1着
 斤量を物ともしないタフネスな走りで京都牝馬特別などオープン6勝を挙げたドミナスローズの仔フジノマッケンオー。早くから期待は大きくそれを裏切らずに5戦3勝2着2回の成績を引っ提げ皐月賞トライアル・スプリングステークスへ。しかしここでマッケンオーに立ち塞がる怪物・ナリタブライアンが待っていた…三冠馬が出る年はレベルが低いと言われるが、逆説的にサラブレッドの気持ちに立てば、心を折られる完敗続きで走る気をなくしてしまうなどということはないだろうか…何にせよこの後フジノマッケンオーは段々と着順を落としていくことになる。
 秋には距離不適の菊路線は避け、ダート路線で2勝し(これで最優秀ダート馬はやり過ぎだが当時は体系が整っていなかったためマッケンオーのせいではない…)勝ち癖をつけて芝のマイルCSへ向かうが、今度はノースフライトとサクラバクシンオーという稀代の短距離馬に捻じ伏せられる。一年程勝ち星からは見放されたマッケンオーだが、古馬になってから母同様斤量を背負って強いところを見せ付ける場面もあり58キロでダービー卿CT、59キロでセントウルSを勝ったが主役の座に戻るには至らなかった…最後には盛岡→荒尾と地方競馬を渡り歩き10歳(旧表記)まで現役続行した。 
 引退直後の彼はよく知らない。CBスタッドで種牡馬をしていたようだが、既に引退し現在は生まれ故郷の本桐牧場に戻っている。ハギノカムイ翁?の隣でおとなしくしているようだが、韓国の地で種牡馬生活をしているエアダブリンや同じく生まれ故郷に戻ったものの見学不可となったヤシマソブリンが表舞台に出て来ない以上は、やはり彼にお願いしようと思う。そう、あの怪物がいた世代の語り部を…
現況(2010/9現在):BTC助成対象功労馬(新ひだか町・本桐牧場)

2006/10/26

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