Lammtarra

ラムタラ
栗毛 牡 1992年2月2日生
父 Nijinsky 母 Snow Bridge 母父 Blushing Groom
競走成績 4戦4勝
1995年 英ダービー (GT) 1着
1995年 キングジョージY世&クイーンエリザベス・ダイヤモンドステークス (GT) 1着
1995年 凱旋門賞 (GT) 1着
 lammtarraとはアラビア語らしい。「神の手」「見ることができない」などと訳されることが多いようだが諸説様々である。アラビア語の翻訳がエラク難しいことだけは確かなようであるが、この馬自身も難しすぎて解説のしようがない…実績は皆様がご存知の通りデビュー戦を勝った後、直接「The Derby」ことエプソムダービーに向かい快勝。古馬混合の「King George Y and Queen Elizabeth Diamond Stakes」ではペンタイアを抑え、引退レースとなる「Prix de l'Arc de Triomphe」でも勝利し4戦4勝の成績で欧州三大レース完全制覇を無敗で成し遂げた伝説の名馬ということになる。実際この栗毛の馬体を初めて見たときには栗毛というよりは金髪?の貴公子といったオーラに満ち溢れていた。確かに4レーストータルの2着馬との差は僅かに3馬身しかなく、抜けて強かった馬ではないであろう。しかしこの気品は選ばれし馬そのものであった。ラスト2戦の手綱を取ったフランキー・デットーリによると「跨っただけではこの馬の真の強さがわからなかった…しかしレースに行って最後の闘争心はクレージー」…日本の天才・武豊をしても一、二枚上のランクにいると言っても良い世界一の騎手が出したこのコメントがこの馬を表現するのに最も適しているといって差し支えなかろう。    
 日本競馬、いや世界の競馬最大の疑問くらいに管理人が感じていること…この馬に文句がある訳ではないが、何故この馬を種牡馬として日本に持ってきたのだろうか?一言で言ったら成功するワケがないのは明白であった。ブルードメアサイアーは2005年まで15年連続でノーザンテースト(2006年はサンデーサイレンスが初の栄誉)…つまりノーザンダンサー系の牝馬が顔を成している国なのである。ここにノーザンダンサー色に染まったラムタラを、しかも46億円もの巨費を投入して連れて来て本当に成功すると思っていたのだろうか?スピード化が進む日本の高速馬場で4レース僅か3馬身程度しか差をつけられなかったパワー主流の欧州馬に多くを望めるのか?かつて名馬の墓場と称された日本が犯した確信犯的愚行であった…
 案の定ラムタラは種牡馬として成功することなくわずか2700万円程で英国に戻っていったのである…しかしまだラムタラは14歳。もう一度英国ターフを沸かせた血を生まれ故郷で発揮して欲しい。少なくとも日本にいるより彼の可能性が高まったことだけは確実であろう。ラムタラストーリーはまだまだ完結していない。その第二章の幕開けが2007年から始まることを遠く日本の空の下から祈りたい!
現況(2010/9現在):種牡馬?(英国)

2006/10/31

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