Narita Top Road
ナリタトップロード |
栗毛 牡 1996年4月4日生 |
父 サッカーボーイ 母 フローラルマジック 母父 アファームド |
競走成績 30戦8勝 |
1999年 菊花賞 (GT) 1着 1999年 弥生賞 (GU) 1着 1999年 きさらぎ賞 (GV) 1着 2001年 阪神大賞典 (GU) 1着 2002年 京都記念 (GU) 1着 2002年 阪神大賞典 (GU) 1着 2002年 京都大賞典 (GU) 1着 |
栗毛の馬体が鮮やかなナリタトップロードは早い段階からクラシック候補の呼び声高かったが3歳時にはモタツキを見せ僅かに1勝しか挙げられなかった。しかし年が明けるや重賞連勝でその能力を明らかにした。アドマイヤベガとの2強で迎えた皐月賞だが後に20世紀最後の覇王と呼ばれ最大の壁となり立ち塞がることになるテイエムオペラオーの前に3着と敗退する。続くダービーでは若い渡辺騎手=ナリタと和田騎手=テイエムが早めの仕掛けを嘲笑うかのように武=アドマイヤベガが騎手の腕が違うと言わんばかりの快勝。テイエムオペラオーには先着するも2着止まり。無念を晴らしたのは菊の舞台だった。持ち味のロングスパートでテイエムオペラオー以下を抑え最後の一冠をモノにした。しかしオペラオーとの対決で以降先着することはなかった…それどころかラスカルスズカ、メイショウドトウといった辺りにも追い抜かれてしまいGTでは連対圏にも入れない日々が続く。 同期のライバル達が引退した後もトップロードは走った。3年続きで出走の京都記念→阪神大賞典を連勝し一番人気で迎えた天皇賞・春。しかしここでも2歳歳下の2頭に先着され涙を飲む。秋には3歳歳下のシンボリクリスエスの引き立て役にしか過ぎず結局競走生活は不本意なGT1勝のみに終わった。それでも10億近い賞金を稼ぎ出したのは無事是名馬の代表たる所以だろう。 繁殖に上がったトップロードには131、95、85頭と種付け頭数にも恵まれ、産駒も走り始めようかという2005年の秋、無事是名馬は何の前触れもなく逝ってしまった…奇しくもその日は自身が最も輝きを放った11/7、菊の栄冠を射止めた日であった… |
現況:2005年11月7日・9歳没 |
2006/10/19