Sunny Brian

サニーブライアン
鹿毛 牡 1994年4月23日生
ブライアンズタイム 母 サニースイフト 母父 スイフトスワロー
競走成績 10戦4勝
1997年 皐月賞 (GT) 1着
1997年 日本ダービー (GT) 1着
 2006年、野球界では北海道日本ハムファイターズが札幌を本拠にして3年で日本一の座についた。ショーマンシップに溢れ、春先からこの年限りで現役引退を公言し続けた男・SHINJOにつられた訳でもなかろうが外国人監督であるトレイ・ヒルマン監督まで「シンジラレナ〜イ!!」という決め台詞を連発する…。阪神タイガースの下柳投手のように喋らないことを売りにする選手もいるがスポーツがショービジネスである限りリップサービスはスターになるために必要なことだろう。武豊騎手など一部を除きそういう機会も少なく、同時に露出も少ない騎手稼業だけに元々そういうこと自体苦手というケースもある。
 大西直宏騎手もこの時点ではそんな代表格だったかもしれない。確かな腕があり、既にベテランになろうかという年齢でありながら200勝をやっと突破した程度の勝ち星でサラブレッド系競走における重賞制覇の経験が皆無…唯一の見せ場がサニースワローで臨み22番人気で2着に突っ込み大穴を空けたダービー…これがサニーブライアンと出会う前の正直な大西評であろう。
 サニースワローの全妹であるサニースイフトの初仔であるサニーブライアンとデビューから地味なイメージのコンビを組み続けた大西がそのイメージを引っ繰り返す発言をしたのは皐月賞前であった。「皐月賞では何が来ようと逃げます!」と宣言!実際暴走馬が引っ掛かり気味に大逃げの形になりハナには行けなかったもののレース配列としては逃げる形。人気馬が後方で互いを牽制し合う中、それを嘲笑うかのように先頭ゴールを果たし一冠をモノにする。直後に飛び出した大西発言は「ダービーでも何が来ようと逃げます!」。
 皐月賞を勝っても異例の人気薄のムードに対しダービー前には「一番人気はいらない!1着が欲しい」と再度の宣言!結局この宣言に怯んだのは後に稀代の逃げ馬となるサイレンススズカの上村騎手。その言葉に反応し共倒れを避けるべく本番で控える競馬を取るに至り、ダービーでも一人旅を演じたサニーは再度の逃げ切り楽勝を演じることになる。
 ダービー後には「勿論菊花賞でも逃げます!」と語った大西騎手だが、サニーは骨折してしまう…。さらに復帰を目指した調教で屈腱炎を発症し、大西の「何が来ても逃げます!」の決め台詞を聞くことはなくなった…
 大西とサニーのいぶし銀コンビ…その後大西はローカルを中心に堅実無比の騎乗でGT1つを含む9つの重賞と、15年で200しかなかった勝ち星を10年で300積み上げ500勝ジョッキーの仲間入りを果たす。サニーも二冠馬の実績としては物足りないと言えるかもしれないが現役時代同様さしたる高い人気があるわけでもない中、GV馬を2頭出している。大西直宏45歳、サニーブライアン12歳、まだまだ衰えるには早過ぎるいぶし銀コンビの活躍に期待したい。サニーブライアン産駒+大西騎乗でダービー出走が適えば必ずや大西が大仕事をする予感がするのだ…(2006/10/25)
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 上記コラムはもう4年前に書かれたもの。時の流れは何と早いのだろう…
 大西直宏はこの直後2006年12月に騎手を引退。現在は口下手の大西というイメージとは程遠く、ジャパンホースマンアカデミーを経て国際馬事学校で講師兼学校長、ならびに予想会社で馬券指南まで務めているという。相棒のサニーブライアンも翌年の種付けシーズンを終えて種牡馬を引退、功労馬としての余生を過ごすことになった。サニーの産駒がダービーを取れるチャンスはあと1回残されているが4年前のコラムの通りになることはもうないだろう。だが大西が育てるホースマンとサニーブライアンの近親・子孫がコンビを組んで競馬界を席巻する可能性は今後まだまだ残されている。
現況(2010/9現在):BTC助成対象功労馬(浦河・うらかわ優駿ビレッジAERU)

2010/9/15

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