Super Creek

スーパークリーク
鹿毛 牡 1985年5月27日生
父 ノーアテンシヨン 母 ナイスデイ 母父 インターメゾ
競走成績 16戦8勝
1988年 菊花賞 (GT) 1着
1989年 京都大賞典 (GU) 1着
1989年 天皇賞 ・秋(GT) 1着
1990年 産経大阪杯 (GU) 1着
1990年 天皇賞 ・春(GT) 1着
1990年 京都大賞典 (GU) 1着
 オグリのライバルとして知られる昭和最後の菊花賞馬スーパークリーク。当時19歳の武豊騎手に初のクラシックをプレゼントし、彼の中でも格別な思いがある馬である。この馬は典型的ステイヤー血統であるが、この配合に関して進言は「マイネル」の冠で有名な岡田繁行氏がしたようである。この岡田氏が菊花賞登録時点で優先順位19番目であったスーパークリークのために優先出走が可能な上位馬であったマイネルフリッセを回避させたことが名馬誕生の第一歩であった。岡田氏の温情に応えるかのように菊花賞を制覇したスーパークリークは暮れのグランプリで同年のアイドルホース・オグリキャップとの初対戦を迎える。しかしこの時点ではオグリのライバルとしてクローズアップされていたのは同年のクリークではなく1歳上で同じ芦毛のタマモクロス。この対決に入り込むには至らず3着入線がやっと。しかもメジロデュレンの進路を妨害し失格となる。ちなみに武はこの年、GT皐月賞で前述マイネルフリッセで失格になっており年間二度のGT失格処分に…若気の至りだろうが、こういった馬の因縁も面白い。
 翌年秋に復帰したスーパークリークは今度こそオグリのライバルと認められその対決は一気に佳境を迎える。天皇賞でクリークが有馬の雪辱を果たせば、ジャパンカップでは一番人気の支持を受けたクリークをオグリは相手にせず海外から来たホーリックスと死闘を演じ世界レコードを叩き出すことで差を見せ付ける。そして迎えた最後の対決となる有馬記念では見事にオグリを競り落としたクリーク…だが平成3強の一角・イナリワン=柴田人の強襲を受け勝利はならず…アイドルオグリの前ではヒールを演じざるを得なかったクリークだが直接対決2勝2敗でお互いそれぞれ1レースを制し、他の馬に1頭づつ先着されるという図式まで互角であった。
 翌年のスーパークリークは距離適性の違いから春の目標が異なるオグリとの対戦はなくイナリワンにリベンジを果たすべく天皇賞春へ。ここでイナリを半馬身抑え3つめのGTをモノにする。オグリとの決着戦を目指し秋のスタートを切ったスーパークリークだがその夢は適わなかった。クリークは元々脚元に不安がある馬で春は宝塚を回避し、秋も初戦の京都大賞典から有馬記念へ直行の予定であったが軽靭帯炎を発症し引退したのであった。
 スーパークリークの現在は日高スタリオンSでの種牡馬生活…しかし種牡馬とは名ばかりで実際にはアテ馬としての役割が主らしい。オグリ、クリーク、さらにイナリワンの平成3強は繁殖で成功したとは言えないが競馬ファンの開拓に寄与した実績は消せないものである。スーパークリークやイナリワンの周りにはまだファンがやってくる。オグリキャップ
も再度の公開が待たれるしそれが義務であると考える。何故なら彼らがいま出来る一番の役割が競馬ファンに対する最後のノスタルジーを与えることだと思うからである。(2006/10/26)
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 2010年夏、放牧中の事故で急死したオグリキャップ…天国へのゴールへ少々早仕掛けとなったオグリですが、まさかクリークがその追い出しを待っていたとは思いませんでした…こんな何年も経って、そんなとこまで競り合わなくてもよかったんじゃないか…お互いもう馬なりでさ、良かったんだろ?…
現況:2010年8月29日・25歳没

2010/9/15

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