Sakura Hokuto O
サクラホクトオー |
鹿毛 牡 1986年4月3日生 |
父 トウショウボーイ 母 サクラセダン 母父 セダン |
競走成績 14戦5勝 |
1988年 朝日杯3歳ステークス
(GT) 1着 1989年 セントライト記念 (GU) 1着 1990年 アメリカジョッキーズクラブカップ (GU) 1着 |
兄にマルゼンスキー産駒のサクラトウコウとサクラチヨノオーがおり、母サクラセダン自身も重賞馬。それに当時絶大な人気を誇った内国産種牡馬・トウショウボーイが父とくれば若駒時代から注目を浴びないわけがない。デビュー3連勝でGTを手にした実績は勿論だが、それ以上にレースで見せる爆発的な末脚に無限の可能性を見た関係者、ファンは少なくないだろう。だが年明けのクラシックロード緒戦となる弥生賞では水が浮く不良馬場の前に持ち前の末脚が不発に終り後方のまま12着に敗退。続く皐月賞も不良馬場に加えボコボコの最内枠を引いて最下位に沈む。最大目標のダービーでも良馬場とはいえ荒れた馬場の前に本領発揮とはいかず9着と夢は叶わなかった。セントライト記念1着を経由し待望の良馬場で行われた菊花賞では後に小島太がサクラエイコウオーとのコンビで再現することになる4角での外埒への逸走があり0.4秒差の5着に敗れ無冠に終わった。暮れの有馬記念でイナリワン、スーパークリークに次ぐ3着、年明けのAJCCで快勝したが以降は一族に付きまとう脚部不安などもあり、未勝利に終わった。とにかく雨とともに語られる雨男であった。 繁殖に上がってからも期待は大きかったがサクラスピードオーが重賞2勝の活躍を見せただけに終り、早々に繁殖生活を退いた。その後生まれ故郷に戻って余生を過ごしていたが腸ねん転により15歳の若さでこの世を去った。少し早過ぎた満開のときにはどの馬よりも輝き、そして一雨毎に花びらを散らしていったもっとも桜らしいサクラがホクトオーであった。 追記というわけではないが、この墓標がみずぼらしいと思う方もいるかもしれない。しかしここで余生を全うした数多くのサクラの馬たちが成績による差別もなくずらっとこのような墓標を並べている現地に赴いてみればそれは全くの下世話であることにすぐ気付くはずである。 |
現況:2000年3月16日・15歳没(旧表記) |
2010/9/5