Soccer Boy

サッカーボーイ
栃栗毛 牡 1985年4月28日生
父 ディクタス 母 ダイナサッシュ 母父 ノーザンテースト 
競走成績 11戦6勝
1987年 阪神3歳ステークス (GT) 1着
1988年 中日スポーツ賞4歳ステークス (GV) 1着 
1988年 函館記念 (GV) 1着
1988年 マイルチャンピオンシップ (GT) 1着
 管理人はサッカーを一度も見たことがない。全く興味が沸かず非国民と言われても日韓W杯も全く見ていない。逆にラグビーは大好きだ。イングランドで行われた第2回ラグビーW杯のビデオはバイブルのようになっている。巷間では全く人気は逆であることくらい知っている。でもラグビーの方が好きなのだ。しかし競馬となるとサッカーボーイの方がラグビーボールより好きだというオチに繋がることはさほど頭が切れるとは言えない人でも予感させた冒頭文はこの辺で…
 全く同じ蹄蹟を重ねたテンポイントの再来と呼ばれた。暮れの3歳王者決定戦が牡牝の区別ではなく関東と関西に分かれていたとはいえ、東の朝日杯が格上のレースとされJRA賞の対象になりがちであったがこのサッカーボーイはその概念を引っ繰り返し最優秀3歳牡馬に選出されている。
 関西馬の追い上げが急だった東西3歳王者並立時代の弥生賞は様々なドラマを生む舞台であったが、この年も東西王者初対決が実現した。朝日杯王者サクラチヨノオーを抑え一番人気に支持されたサッカーボーイであったが、先行したチヨノオーの影も踏めないまま敗北した。この敗退からサッカーボーイは一気にクラシック戦線の主役から転落する…飛節の不安から皐月賞回避、NHK杯、ダービーでの惨敗…早熟馬なのかと囁かれだした。
 春のクラシックは終わった。しかしサッカーボーイの逆襲はここからだった。中スポ4歳Sで2kg貰いの斤量ながら皐月賞馬から勝利をもぎ取ると、続く函館記念では日本レコードとなる戦慄の完勝。秋は捻挫で京都新聞杯を断念、菊花賞には間に合わなかったためマイルチャンピオンシップへ。しかしこの距離が俺の適距離とばかりに2着以下を大きく斬捨ててみせた。
 翌年も現役続行の予定であったが、骨折し復帰を目指したその最中、父ディクタスが急逝…後継馬として種牡馬入りして再出発をすることになり、競走馬としてのサッカーボーイは結果的に4歳一杯で終わることとなる。
 内国産不遇の時代であったが、サッカーボーイは内国産のエースとして活躍馬を送り出し続けている。自身が出走出来なかったとはいえ、最も不適なイメージがある菊花賞馬2頭をはじめ3頭のGTウイナー、さらにダートの活躍馬まで出し幅の広いところを見せつけている。
2006年の訪問では体調不良で会うことが出来なかったが、まだまだ活躍が期待される。(2006/10/26)
**********
 2006年シーズンを以ってシンジケートが解散。2007年からは社台スタリオン荻伏に移動し種牡馬生活を続行することが決まった。
現況(2010/9現在):種牡馬(安平町・社台スタリオンステーション)

2006/12/15

inserted by FC2 system