Sakura Yutaka O

サクラユタカオー
栗毛 牡 1982年4月29日生
テスコボーイ 母 アンジェリカ 母父 ネヴァービート
競走成績 12戦6勝
1985年 共同通信杯 4歳ステークス(GV) 1着
1986年 サンケイ大阪杯 (GU) 1着
1986年 毎日王冠 (GU) 1着
1986年 天皇賞 ・秋(GT) 1着
 世界の盗塁王・福本豊が最後に盗塁王を取ったその年に生を受けたサクラユタカオー。中距離を圧倒的なスピードで生涯6勝のうち3勝をレコード勝ちでマークした。クラシック戦線には明らかに距離不適の菊花賞に進んだだけでミホシンザンに一蹴されているが、古馬になり2000m以下のレースではお返しの連勝をしている。ミホシンザンとは距離適性が明らかに違ったが、人の都合で一緒にレースをすることがなかったシリウスシンボリがいれば彼を介した比較対戦で盛り上がったことであろう。さらに当時に短距離路線が整っていればタイトルは軽く倍になっていたことは間違いない。 
 静内川を東に渡ってすぐの小高い真歌の丘。新ひだか町と名前を変えたこの町に吹く風が爽やかなライディングヒルズ静内にサクラユタカオーは暮らしている…サクラバクシンオーという稀代の名スプリンターは種牡馬としても優秀でテスコボーイの血を脈々と後世に伝えていく存在となった。エアジハードというマイル王者もいる。繁殖牝馬には持続するスピードを伝え2頭のGT馬を出しユタカオーは二つ目の役割を終えた…
 
最後の役割は?もはや誰のためでもなく自分自身のためだけにノンビリと生きるが良い。世界の盗塁王がオモロイオッサンに成り下がったみたいなことはしなくていいから…(2006/10/24)
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 さよならを言わなければならない日が遂に来てしまった…。09年頃から右眼の視力をほぼ失っていたものの元気だったユタカオー…。だが2010年11月23日未明、何の前触れも見せないままユタカオーは馬房の中で永遠の眠りについていた…。老衰による大往生であった。地元・静内ではユタカオーの銅像建立の話まで出て来ているようである。
現況:2010年11月23日・28歳没

2010/11/24

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