Yamanin Zephyr

ヤマニンゼファー
鹿毛 牡 1988年5月27日生 
ニホンピロウイナー 母 ヤマニンポリシー 母父 Blushing Groom
競走成績 20戦8勝
1992年 安田記念 (GT) 1着
1993年 京王杯スプリングカップ (GU) 1着
1993年 安田記念 (GT) 1着
1993年 天皇賞 (GT) 1着
 血が織り成す最高のドラマが競馬ならこの馬を忘れることは出来ない。前年に安田記念を勝った段階では2桁人気のフロック的な目で見られ、事実これから1年間は勝ち星に見放されることになる。その最中6歳(当時表記)を迎えたゼファーの最大目標として「父が果せなかった2000mの天皇賞」を最大目標に陣営は掲げ、年2戦目に1800mの中山記念をチョイス。ムービースターのレコード勝ちに屈したものの、覚醒は次戦京王杯スプリングSでやってくる。シンコウラブリイを寄せ付けない勝ちっぷりを見せ、その勢いで外国馬開放初年度の安田記念を完勝。秋は予定通り毎日王冠を試走し天皇賞へ向かう。直前に大本命候補のメジロマックイーンのリタイアがあったが、毎日王冠6着のせいかさほど人気がなく春の覇者ライスシャワーナイスネイチャ、ツインターボ、ホワイトストーンに続く5番人気。しかし1頭だけ別レースをしたツインターボの狂気逃げ(当然ドンケツ敗退)を気にもせず実質的に逃げを打つ形となったゼファーに付いて来れる馬はいなかった。かろうじて追い縋ったセキテイリュウオーも田中勝春伝説のムチ落としもありハナ差だけ押さえ切り父ニホンピロウイナーが皇帝、狂気の末脚の2頭と距離限界に弾き返されたこのレースを見事制して見せた。 
 ゼファーも日本のサイアーラインを守るべき一頭だったはずだが、ジャパンカップダート2着のサンフォードシチーを出しただけに終わりそうだ。デビューから6F戦中心に使われていたため短距離向きのスピード馬と思われていたが、実際には上がり34秒を切ったことがないようにマイル〜中距離を平均以上のラップで乗り切れる持続スピードと並外れた根性がこの馬の持ち味だったように思う。だからこそ府中に良績集中となったのだろう。この年齢になって種牡馬としての成功はこれ以上難しいかもしれない。(2006/10/12)
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 2009年で種牡馬を引退し、生まれ故郷のオーナー牧場に戻って余生を過ごす。
現況(2010/9現在):BTC助成対象功労馬(新冠・錦岡牧場)

2010/9/16

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