Sirius Symboli

シリウスシンボリ
鹿毛 牡 1982年3月26日生
父 モガミ 母 スイートエプソム 母父 パーソロン
競走成績 26戦4勝
1985年 日本ダービー (GI) 1着
 ディープインパクトに明け暮れた2005-2006競馬界。三冠制覇から狂騒曲は鳴り響いていたが、そのクライマックスは凱旋門賞への挑戦と3着敗退であっただろう。この20年前にロンシャンの舞台に立ったのが前年にダービーを制したシリウスシンボリでした。ダンシングブレーヴがレコードで制した年であり、日本国内においてもシリウスが挑戦した一戦ではなく、ダンシングブレーヴ伝説が極まった一戦としての印象が強いですね。
 
何よりシリウスシンボリは凱旋門賞に挑戦した事実よりもシンボリ牧場と二本柳厩舎の間で騎手乗り替わりに端を発した争いに巻き込まれた「シリウスシンボリ騒動」の方が有名になっているのが悲劇かもしれません。どっちがいいの悪いのはともかく、人間の確執が理由で2年にも渡る海外遠征という印象は拭えないし、それが一頭の名馬の名声を奪ったのであれば残念なことです。シリウスシンボリは人のエゴによって皐月賞への出走機会を見送ることになり、2年の海外遠征を「させられて」いたのではないでしょうか?一つ間違いないのは海外に行かずとも国内で走っていれば加藤和宏が騎乗しようと岡部幸雄が騎乗しようとダービーが最後の勝鞍になることはなかったでしょう。遠征初期に騎乗した岡部が「馬場が合わない」と明言して遠征2戦だけで以降乗りに行っていないのですから。回避した皐月賞前後の調教では1つ歳上のシンボリルドルフに先着したという能力は確かだったはずです。そして国内に戻ったシリウスはアイドルホース・オグリキャップ伝説第二章の引き立て役を演じ現役を終えました。 
 繁殖に上がったシリウスですが牝馬に恵まれずパッとしたものではありませんでした。シンボリ牧場の主流過ぎる血統「モガミ×パーソロン」では牧場内の期待馬との種付けが出来ず外部の牝馬への種付けしか出来なかったというのが通説になっています。シンボリルドルフが生まれ故郷シンボリ牧場で余生を過ごしているのと対象的に同じ門別にある沖田牧場で繋養されるシリウスを見るたび人に振り回された悲哀を感じます。幸いにして沖田牧場では大切にされているようで、気難しいと言われたその気性とは裏腹に行けば必ず人懐っこく寄ってくる姿がせめてもの救いです。
現況(2010/9現在):BTC助成対象功労馬(沙流・沖田牧場)

2006/10/16

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