Wakao Raiden

ワカオライデン
栗毛 牡 1981年4月25日生
父 ロイヤルスキー 母 オキワカ 母父 リマンド
競走成績 27戦13勝
1985年 朝日チャレンジカップ(GV) 1着
 いつの頃からか地方のSSと呼ばれたこの馬も2005年シーズン限りで繁殖引退したそうです。競走馬としての印象よりも地方競馬ではしょっちゅうこの馬の産駒が走ってましたしダビスタなんかでもやたら足元は弱かったけど芝・ダ問わず結構走る馬が出たような…嬬恋で乗馬になっていたフジヤマケンザン共々テンポイントの血を引き継ぐこの一族は生まれ故郷である吉田牧場で余生を過ごすことになります。空港から比較的近いのでこれからちょくちょく寄るかもしれないですね。ライデンリーダーも運が良ければ見られます。(2006/10/12)
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 2007年9月、管理人XX回目の誕生日と重なった北海道馬巡りの初日でした。サッカーボーイへの対面を試みましたが、インフルエンザの影響で遠くから眺めるだけに終ってしまったため事実上その旅の始まりとして吉田牧場を訪問した我々は前年同様にフジヤマケンザンとの再会を楽しみましたが、もう一頭の目当てであるワカオライデンの姿が見当たらないことに気付きました…牧場スタッフに尋ねてみると、「ライデンは体調が悪く放牧していないけど、ご覧になられますか?」とのことで案内して頂くことになった。厩舎に案内され1年ぶりの再会を果たしたライデンは1年前の姿からは想像も出来ない程やつれて横たわっていた…「ここのところずっとこんな感じなんですよ…」とスタッフ。2006年の旅でアンバーシャダイを見たときにも、もしかしたらこれが最後かもという予感を抱いた。その4ヶ月後事故という形ではあったがその予感が現実になった。しかしこの時のライデンを見た衝撃は…もはや言葉を失うしかなかった…
 だが次の瞬間、人が来たことを悟ったライデンは、ありったけの力を振り絞っていることが誰でもわかるほどに、一生懸命に、馬房内で立ち上がりました。そして我々とスタッフさんの方に近寄って来ました。「所詮畜生のやること、エサでも貰えると思ったんだろ?」と口の悪い輩なら思うかもしれません。だが我々の目に映ったライデンは走り続けたサラブレッドとして、血を残し続けたサラブレッドとしての誇り高きプライドを持った生命力の塊以外の何物でもありませんでした。ライデンが立っていられたのは時間にしたら本当に数10秒だったと思います。カメラの設定を変更する時間すらなく、反射的にシャッターを押しただけの何が何だかわからない一枚が残っています。私がシャッターを押した直後、ライデンは全てに疲れ切ったかのように数歩下がってまた崩れ落ちてしまいました…。崩れ落ちたライデンはもう首さえも動かさずジッと壁の1点を見つめていました。それを見たスタッフさんはライデンを気遣い、彼に寄り添い続けていました。
 移動の車中、始まったばかりの旅にはそぐわない「もう最後だわね…」という一言を発した相棒に、管理人は深いため息を煙草でごまかすくらいしかなかった…インフルエンザと我々を追うようにやってくる台風のため、これからの行程も定まっていない不安な旅の一発目にはあまりに重過ぎる再会でした。
 夜、食事を済ませた頃には台風はもうすぐ傍まで来ておりホテルの窓に雨風が吹きつけていた。その音を聞きながらライデンと、同日見学させてもらい前年のアンバー同様の匂いを感じてしまったリンデンリリーの写真整理が妙に切なく感じたXX回目の誕生日…。
 ライデン死すのニュースが流れたのは、それから僅か2週間しか経っていなかった…。
現況:2007年9月21日・26歳没

2010/9/16

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